by 廻 由美子
シェーンベルクの育った環境とは?
(前回「シェーンベルクとの出会い」はこちら)
ウィーン育ち、と言ってもいろいろあります。中心部は「ニュー・イヤー・コンサート」の華やかなイメージにピッタリですが、シェーンベルクの生まれた家は、レオポルトシュタット、と呼ばれるユダヤ人が多く暮らす地区にあり、両親は靴屋を営んでいました。
両親ともに東欧系のユダヤ人です。クラシック音楽のエリート教育を受ける、という環境ではなかったようです。
そういえば「レオポルトシュタット」(作:トム・ストッパード)という演劇が、イギリスで上演され、2023年にトニー賞を受賞。日本では新国立劇場で上演されました。
その解説によると、20世紀初頭のレオポルトシュタットは「古くて過密なユダヤ人地区だった」と書かれています。
きっとそこでは、仕事歌、子守歌、子供達の遊び歌、などがあちこちから聴こえたのではないかな、と想像します。
たまには酒場の歌、あいびきの声、ケンカの罵声なども聴こえてきそうです。
シェーンベルクの音楽に特有の、溢れる多様なリズム感、ポリフォニーで聴こえてくる様々な歌は、そういうことろからもきているのかもしれません。
コンサート・ホールやオペラ劇場は、行きたいけれども値段が高い。まだ若いシェーンベルクはお金もないし、そんなに気軽には行けない、となると、もっと生活に密着した音楽の場こそが、彼の勉強の場であった、とも言えるでしょう。
シェーンベルクはオスカー・アドラー、というヴァイオリン弾きと友達になり、基礎的な音楽理論の知識を得ることができたようです。とはいえ、アドラーさんもアマチュア音楽家のようです。「ヴァイオリニスト」というよりも「ヴァイオリン弾き」という方がピッタリきそうです。
何もかもが、モーツアルトのようなスーパー神童ぶりとはカケ離れているシェーンベルクですが、その彼が、20世紀の音楽を大きく揺るがし、いまだに影響を与え続ける、という巨人になったのですから、音楽世界は奥が深いです。
でも、ひとつ言えることは、シェーンベルクがどうしても音楽をやりたかった、ということです。
だからこそ彼は、生活の場からも街角からも、カフェからもキャバレーからも、音楽を吸い尽くし、創作の栄養にしつづけていくことができたのでしょう。
父親を早く亡くし、家計を支えるために16歳から21歳まで銀行勤めもしたシェーンベルクですが、ますます彼の中で音楽は必然になっていき、21歳でハレバレと銀行を辞めた彼は、お金はなくともエネルギーに満ち溢れて音楽家への道を進むことになります。
ここから、シェーンベルクは、だんだん「シェーンベルク」になっていきます。
次号は→「1900年までのシェーンベルク」
新旧渦巻くウィーン世紀末。さて、シェーンベルクは?
「新しい耳」では2024年に生誕150年をむかえるシェーンベルクを特集します!
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「新しい耳」@B-tech Japan
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(2024年2月4日・記)