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ツェムリンスキーxジャズ?

by 廻 由美子



9月になりシェーンベルク・シリーズも秋冬シーズン到来です。

11月24日(日):〜失われた楽園を求めて〜 

出演:工藤あかね(ソプラノ) x 廻 由美子(ピアノ)

E.シュルホフ:5つの歌 作品32(1919)

A.ツムリンスキー:12の歌曲 作品27より8番〜12番(1937〜38)

A. シェーンベルク:「架空庭園の書」(1908〜1909)

さて、今日はムリンスキーの「12の歌曲」(第8曲〜第12曲)、その第8曲と第9曲についてお話ししたいと思います。

(「架空庭園の書」についてはこちらのブログをご覧ください)

ムリンスキー(1871〜1942)はウィーンで生まれたユダヤ系作曲家です。

その時代の重要な音楽家であることは間違いないのですが、マーラー、シェーンベルク、など燦然と輝く光の影で、それらの光の影響を受けながらひっそりと地味にしている印象がありますね。


でも、人間は多面体、ムリンスキーにもいろいろな面があります。

「12の歌曲」(今回は第8曲〜第12曲)の楽譜を取り出して、初めて第8曲と第9曲を弾いてみた時のオドロキ!

ではそれについてお話したいと思います。

第8曲:詩:クロード・マッケイ/Claude McKay(1889-1948)

「ハーレム・ダンサー/Harlem Tänzerin」

第9曲:詩:ラングストン・ヒューズ・Langston Hughes(1901-1967)

「アフリカの踊り/Afrikabischer Tanz」

クロード・マッケイとは、そして、ラングストン・ヒューズとは誰でしょうか?

1920年代から30年代前半に、アフリカン・アメリカンを中心に、人種的誇りを掲げ、アート、文学、音楽などの芸術を花開かせた、いわゆる「ハーレム・ルネサンス」というムーヴメントがありました。

ジャマイカで生まれたクロード・マッケイ、そしてアフリカ系アメリカ人のラングストン・ヒューズは、その中心的人物だったようです。

そのムーヴメントはヨーロッパにも広まっていき、1929年には、Anna Nussbaumという人が編集した「アフリカはうたう(Afrika singt/Africa sings)」というハーレム・ルネサンスの詩人たちによる詩集がドイツ語版で出版され、センセーションを巻き起こしたそうなのです。

ムリンスキーは早速1929年にこの詩集の中からラングストン・ヒューズなどのテクストを引用し、「シンフォニック・ソングスop.20」を書いています。

8年ほど経ってまた、彼らの詩を引用して「12の歌曲」を書いたのですから、詩にとても共感していたのでしょう。

さて、ツムリンスキーがどんな歌を書いたかというと、

「これって、ジャズ!」

どこかブルー(憂鬱)で、ワーク・ソングを思い起こさせたり、血が騒ぐような暗い刺激があったり。

これを書いた1937/38年といえば、ユダヤ人迫害もさらに酷くなってきています。彼は詩と自分の境遇を重ねあわせて書いたのかもしれません。

1938年、ツムリンスキー亡命、その詩集は禁書。

亡命先のアメリカでは、シェーンベルクと違い英語もできず、無視されて作曲もあまりできず、失意のうちに亡くなったとのこと。

やはりどこか「ブルー」になってしまうツムリンスキーです。

でもだからこそ、差別の歴史に喘ぎながら、芸術で人権を訴え続けたハーレム・ルネサンスの詩人たちに共感したのかもしれません。

ぜひ皆様にお聴きいただきたい作品です!

次回は詩の内容について、です!


2024年8月30日・記

廻 由美子



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