by 廻 由美子
シェーンベルクとキャバレーの熱い関係とは?
(前回「1900年までのシェーンベルク」はこちら)
シェーンベルク編曲によるヨハン・シュトラウス2世の「皇帝円舞曲」をご存知でしょうか。
よく「ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート」でも演奏される人気曲ですが、シェーンベルクの編曲は華麗なる「宮廷舞踏会」といったイメージとはだいぶ違います。
「ブン、ブン」と始まるこの編曲は、全くの「庶民派円舞曲」に聴こえるのです。
宮廷よりも公園で、カフェで、街角で演奏されるのにピッタリです。もともとワルツは庶民のもの、その本質を見事についた編曲です。
なぜ、シェーンベルクはこんな面白い編曲ができたのでしょう。
もちろん、それは彼が天才だったからですが、それだけではなく、多分、彼のそれまでの経験がモノを言ったのではないかと思います。
シェーンベルクは若い頃、生活のためにオペレッタの編曲などをたくさんこなしていました。今で言えばポップスやミュージカルのアレンジをやっていたようなものでしょうか。
生活のため、ということもあったでしょうが、やはりオペレッタや民謡や、巷に流れる歌などが大好きだったのだと思います。
「グレの歌」(1911)など大作を書く傍ら、粋な「小唄」のようなものも書いて、ウィーンの劇場に送ったりしていたようですし、さすが、音楽をジャンルで差別しないシェーンベルクです。
「小唄」、と書きましたが、要するに「キャバレー・ソング」のことです。
キャバレーを抜きにしてこの時代の芸術文化を語ることはできないでしょう。
キャバレーは、1881年にパリで開店した「シャ・ノワール(黒猫)」が最初と言われています。
踊りあり歌あり芝居あり、背徳と官能、芸術と放浪芸が一体となったようなキャバレーは大評判になり、キャバレー熱はパリからベルリンに飛び火します。
1901年、ベルリンのブンテス・テアターで、エルンスト・フォン・ヴォルツオーゲンが「ユーバー・ブレットル(超寄席=超キャバレー)」をオープンさせました。
そこでは歌、踊り、道化のパントマイム、風刺劇、仮面劇、詩の朗読、手品、などヴァラエティに富む演目が繰り広げられ、連日超満員の大人気となます。
音楽を担当していたのは、前回のメルマガでお話しした、映画「輪舞」の音楽を担当したオスカー・シュトラウス(ヨハンとは関係ありません)でした。
勢いづいた「ユーバー・ブレットル」はウィーンにも巡業にやってきます。そして、アレクサンダー・ツエムリンスキーが楽長をつとめていたカール劇場でお得意の演目を繰り広げたのです。
ちなみにツエムリンスキーはシェーンベルクの師にあたる存在で、しかも彼はツエムリンスキーの妹と結婚しています。その頃はちょうど新婚ホヤホヤでした。
彼女はこの後、大変な事件を引き起こすのですが、それはまたお話します。
シェーンベルクはヴォルツオーゲンにいくつか自作ソングを見せる機会を得て、ベルリンで仕事をする契約を取り付けます。
シェーンベルクがベルリンで仕事をしていたのは半年ほどだったようですが、彼に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
なにしろ、ベルリンならではのスパイスの効いたプログラムが毎夜行われる「ユーバー・ブレットル」での仕事です。道化、芸人、音楽家、娼婦、ヒモ、パトロンらが行き交う現場で、影響を受けないはずはありません。
シェーンベルクの音楽に、ベルクやウェーベルンにはない、どこか「ヤバい」香りがあるのは、ここでの経験もあるのかもしれません。
その頃に書かれたキャバレー・ソングが「ブレットル・リーダー」です。
やはりシェーンベルク、ベルリンのキリキリしたスパイスよりも、ウィーンの街角の香りが濃く、ユーモア、スピード、軽やかさ、色気、官能、刹那感、などが満載です。
このヤバくも楽しい歌曲集を、今回のシリーズで取り上げます。
「新しい耳」@B-tech Japan
特別企画 シェーンベルク・シリーズ2024(全6回公演)
2024年5月12日(日)
工藤あかね x 廻由美子 〜背徳と官能〜
「ブレットル・リーダー」(キャバレー・ソング)
「月に憑かれたピエロ」(ヴォーカルとピアノ版)
危険で官能的、エロスと聖が交りあう時間。
ぜひナマでお聴きください!
次号は→「シェーンベルクと周りの人々」その激しすぎる関係!
不倫、自殺、まるでドラマ!
チケットはこちら
廻 由美子
(2024年2月25日・記)
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